全脳自由帳

より考えるために書く

途中の家(エラリー・クイーン)

途中の家 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-19)

途中の家 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-19)

 

1936年の作品。国名シリーズ最後の「スペイン岬の秘密」と、先日書いた「日本庭園の秘密」の間に発表されている。

あばら家から女の悲鳴が聞え、一台の車が飛び出していった。義弟のジョゼフに会うためやって来た青年弁護士ビル・エンジェルが、その家の中で見たものは、胸を刺され虫の息となっている義弟の無残な姿だった。しかも、ビルの友人エラリイ・クイーンの手腕により、意外にも被害者が、ニューヨークとフィラデルフィアにそれぞれ妻を持つ重婚者であったことが暴露される。容疑はフィラデルフィアに住む妻にかかったが、果して被害者はどちらの人間として殺されたのか? 自選ベスト3に選ばれた面目躍如たる迫力篇。

「読者への挑戦」が入っている。例によって、犯人の見当は皆目つかず。解決編はこれぞクイーンという感じのロジカルな謎解き。殺人現場の環境がちょっと人工的な気がしたが、ありえないというほどではない。謎解きの根拠として、今の時代の日本人には感覚としてなかなかわからない部分もあったが、まあしょうがない。どうせ解けるわけでもなし。後からふりかえると伏線の張り方がちょっとあからさまなように見えるのも、こちらの考えすぎというか負け惜しみだろう。伏線だということを見破れなかったわけだし。

国名シリーズと比べて、ドラマの要素が少し入ってきていると言われているこの作品。確かに人間模様を描こうという意志は感じるが、古い文体とエラリイの淡々としたキャラクターのせいか、あまりウェットなものは感じなかった。

翻訳文は読みにくい。全体的にもう少し自然な日本語にしてほしかった。おかげでだいぶ読むのに時間がかかった。「訳者あとがき」で、1ヶ所非常に翻訳に苦労したということが書いてあったが、そこに関しては英語と日本語の大きな違いなのでしょうがないと思う。

女性に対して「心配ありませんよ。(中略)このぼくは中性なんですからね」というエラリイのセリフがある。女性には(男にも)興味ないのか?

山本彩 LIVE TOUR 2017 〜Identity〜に行ってきた

11月21日、大阪オリックス劇場でのさや姉のライブに行ってきた。

2枚目のアルバム「identity」がよい、という話はすでに書いたが、それからさらに気に入って、毎日のように聴いている。その勢いでチケットサイトでチケットを入手したのである。

3階席だったのでかなり遠かった、というか高いところからだったが、堪能できた。ライブでもちゃんと通る声で、うまいので安心して聴けた。バックにはSuperflyのバックも務めていた草刈浩司氏(ギター)が入っていた。

「identity」の中では、自作の「陸の魚」とドリカムのカバー「何度でも」が特に気に入っている。「何度でも」はオリジナルよりいいと思う。この2曲は特に感情移入して聴けた。以下のインタビューによると、「陸の魚」はアイドルとソロを両方やることの苦悩を書いたものらしい。

natalie.mu

陸の魚

陸の魚

  • 山本彩
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

しっかりしたミュージシャン。今後が楽しみである。

コンサートの内容とは違うが、驚いたのはアンコール前。「最後の曲」が終わってさや姉とバンドが退場したあと、普通はその拍手のままアンコールの拍手に移ると思うのだが、拍手が止んでしまい、しばらくシーンとしていた。

まあすぐ誰か始めるだろうと思っていたら静かなまま(まあ私も拍手していないわけだが)。「このまま続けばアンコールなしか? まさかな? 」などど思っていたら、ようやく「さやか、さやか」というコールを始めた人がいて、一部の人が呼応して拍手をしだした。

私も手をたたきだした。3階席でそうしているのは全体の3〜4割という感じ。満場アンコールというにはほど遠い。その状態でバンドが出てきた。そこでやっと満場アンコール。

無事3曲やってくれたが、聴く側の「アンコール慣れ」を示す出来事だったのではないかと思う。みんなもっと聴きたかったことは間違いないが、同時にアンコールがあることに慣れきっているから、誰もあえて自分がやりだそうとはしなかった、といったところではなかろうか。こういう光景、他のミュージシャンでも起こっているのだろう。

追記

sirabee.com

翌日の最終日では泣いてたのか。そっちに行った方が…いや、ぜいたくは言うまい。

日本三大指かみソング

BS12の「ザ・カセットテープ・ミュージック」を観始めた。1980年代の歌謡曲をかけながらのトーク番組。スージー鈴木・マキタスポーツ両氏の解説とトークが軽妙で、かつ勉強になる。私の世代(私はスージー鈴木氏の3学年上になるらしい)には、この時代の音楽はこたえられない。

11/19夜の放送は松田聖子編だった。「松田聖子という場で、一流の作り手が好き放題やっていた」という見方が印象的。確かに、とにかくすごい人たち(松任谷由実、大瀧詠一、松本隆、細野晴臣、財津和夫、佐野元春、尾崎亜美、…)が曲作りに関わっていた。今思い出しても「聖子祭り」だったと思える。

その中で、「ガラスの林檎」のブッとんだ歌詞(松本隆)の話があった。

♪愛しているのよ かすかなつぶやき 聞こえないふり してるあなたの 指をかんだ

指をかんだ。確かにこれは「調子に乗っている」。当時も「かむのか…」と思っていた記憶がある。

引き合いに出されたのが伊東ゆかりの「小指の思い出」(作詞: 有馬三恵子)。定番だろう。

♪あなたがかんだ 小指が痛い 昨日の夜の小指が痛い

この2曲を「日本二大指かみソング」と言っていた。

それを聞いて、強烈に蘇ってきた曲があった。西城秀樹「ブーメランストリート」(作詞: 阿久悠)。こんな歌詞がある。

♪カリッと音が するほど小指をかんで 痛いでしょう 痛いでしょう 忘れないでしょう

こわいこわい。「カリッ」て。当時も、子供心に意味もわからずこわかった。

それをツイッターに書いてみた。

そしたらスージー鈴木さんからリツイートをいただいた(うまく貼れないが、私のツイートが引用されている)。

うれしい。

オラシオさんの記事を読んで、note初投げ銭

cakesを購読し、noteを読んでいる。

noteには有料記事と無料記事があり、有料記事はその記事に対して金を払わないと途中までしか読むことができないようになっている。

無料記事にも「投げ銭」がついていることがある。全文読めるが金を払うこともできるというしくみ。有料記事の「途中まで」の無料部分がたまたま「終わりまで」になっているものだとも言える。

これまで、有料部分であれ投げ銭であれ、noteで金を払ったことがなかったのだが、昨日初めて払った。この記事。

note.mu

本当にいい記事だと思った。

カフェやレストランでは、私も店員さん同士のやりとりの様子が割と気になる。それは店の雰囲気にかなり影響を与える。

以前、コーヒーがおいしいのでよく通っていたカフェがあったが、どうも店員さん同士の間に漂う雰囲気がよくないので行くのをやめてしまった。

また、昔近所のとんかつ屋で、管理職とおぼしきおじさんが、私たちの見えるところで店員のおばさんたちのふるまいに(小声ながら)いちいち厳しく指示を出していたことがあった。ピリピリしているのが伝わってくるし、店員さんたちが陰でいやな顔をしているのまで目に入ってくる。「そういうのは見えないところでやってください」と言えばよかったと後で思った。

オラシオさんの記事を読んで、ああよかったな、そういう瞬間を見るとホッとするよなと共感できた。「彼女」の笑顔が浮かんでくるようである。

キウイγは時計仕掛け(森博嗣)

キウイγは時計仕掛け KIWI γ IN CLOCKWORK (講談社文庫)

キウイγは時計仕掛け KIWI γ IN CLOCKWORK (講談社文庫)

 

S&Mシリーズ、Vシリーズ、四季シリーズときて、今はGシリーズを読んでいる。いつのまにか9作目。

建築学会が開催される大学に、γの字が刻まれたキウイがひとつ届いた。銀のプルトップが差し込まれ手榴弾にも似たそれは誰がなぜ送ってきたのか。その夜、学長が射殺される。学会に参加する犀川創平、西之園萌絵、国枝桃子、海月及介、加部谷恵美と山吹早月。取材にきた雨宮純らが一堂に会し謎に迫るが。

 Gシリーズについて作者は以下のように書いている。

ミステリィについて自分なりに見直し、あまりトリッキィなものではなく、どろどろしたものでもなく、真正面から誠実に、シンプルできめの細かい作品を書きたいと思うようになりました。また、矛盾しているように感じられると思いますが、一方では書かなくても良いことを極力書かない、という当たり前の素直な方針を掲げ、ナチュラルでアキュラシィな作りをなんとか目指したいと今は考えています。

Gシリーズ - 浮遊工作室 (ミステリィ制作部)

確かにどの作品も事件の構造はシンプルなのだが、作を追うごとにだんだんわけがわからなくなってきた。この「キウイγ」などは、何が解決なのかよくわからない。

シリーズに通底した謎がいろいろあるのは明らかで、どうやら次作「χ(カイ)の悲劇」以降の3作で解明されていくらしい。森博嗣作品は、作品やシリーズにまたがったしかけが大きな魅力の1つなので、いやが上にも期待が高まる。ひとまず「χの悲劇」が文庫になるのを待ちながら、次のXシリーズを読むとしよう。

勉強カフェ大阪で勉強する

benkyo-cafe-osaka.com

 2年ぐらい前から、休日には時々勉強カフェ大阪に行っている。

勉強机が並んだエリアがあり、静かに勉強や作業に集中することができる。コーヒー・紅茶・お茶などは飲み放題、お菓子は1つ100円で購入可能。無線LANが使える。

本町と梅田の2箇所にあり、どちらも自宅から近いのだが、机が大きい本町の方を利用することが多い。だいたい、数学の勉強をするか、仕事をするか、本を読むかして過ごしている。

会員でなくても利用はできるが、会員になった方が安いので、月2回利用できるフレックス2コース(月額4266円)に加入している。月2回行かないと料金がムダになる(2ヶ月分は繰り越せるが)というプレッシャーもよい方向に働いている。

勉強する場所として、他の環境と比べてみると、

  • 自宅と比べると: ダラダラせずにすむ。他の誘惑(テレビなど)がない。家事をしなくていい。家族がいない。
  • 図書館と比べると: 本と関係ないことをしてもいい。ドリンクがある。ネット環境がある。
  • カフェと比べると: 長時間いてもいい。勉強机である。静かである。ネット環境がある。

というわけで、勉強カフェならではのメリットがあるのである。

サードプレイス的な場所として、これから需要が伸びてくるのではないかと思っているのだが、どうか?

iPhone Xを見てきたが、機種変更は見送り

遅まきながら、iPhone Xを店頭で見てきた。

www.apple.com

確かに有機ELディスプレイはきれいだし、ほぼ全面が画面になっているのは大きなインパクトがある。ホームボタンがなくなったが、新しい操作にはすぐに慣れそう。店頭では確かめられなかったが、Face IDも快適そうで興味深い。

それらよりも特に確かめたかったのは全体のサイズだった。短時間ではあったが持っていろいろ触ってみた感想「これはかなりでかい」。

今持っているiPhone7が138.3×67.1×7.1(mm)。対してiPhone Xは143.6×70.9×7.7(mm)。この数値はあらかじめわかっていたが、実際に持ってみると数値の印象以上に大きかった。親指でタッチする派の私にはちょっとつらい。片手で持った時に親指が画面の全部に届きそうにないのである。また、ポケットに入れるにも少し大き過ぎる気がする。

最先端の機器を使っていたいという気持ちはあるので、乗り換えたいのは山々なのだが、サイズの点でとりあえず見送りかな…。iPhone 7/8と同じ筐体の大きさで出してくれたら文句なしに使うのだが。

ジョナサン・アイブがiPhone Xについてこんなことを話している。

ホームボタンのない全面ディスプレイについて尋ねられ、「私は常に、より多目的に利用できる製品に魅力を感じます。iPhone Xの非凡なところは、機能がソフトウェアで決められている点です。ソフトウェアの柔軟性により、iPhone Xは今後変化し、進化していきます。1年のうちに、今はできないことができるようになるでしょう」と語ったのです。

iPhone Xは「1年で今はできないことができるようになる」 Appleデザイン責任者が発言 - ITmedia PC USER 

「機能がソフトウェアで決められている点です」というのは意味がよくわからないので、原文を見てみた(太字部分は原文では太字ではない)。

I’ve always been fascinated by these products that are more general purpose. What I think is remarkable about the iPhone X is that its functionality is so determined by software

Jony Ive on Apple Park and his unique, minimalist W* cover

so determinedになっているから、「機能が真にソフトウェアで決められる点です」あるいは「そのために機能がソフトウェアで決められるようになっている点です」ぐらいかな。1年のうちに何ができるようになるのかはわからないが、それを待つとするか。

感じる科学(さくら剛)

感じる科学 (Sanctuary books)

感じる科学 (Sanctuary books)

 

  「科学に馴染みのない人に科学をおもしろく伝えるにはどうしたらいいか?」という話を友人としていて勧められた本。

赤いスイートピーは赤いが、なぜ私たちはスイートピーが赤いとわかるのか? 「超高速ですれ違う亀田兄弟」にとって、お互いのパンチはどのように見えるのか? もしも“もしもボックス”がこの世に存在するとしたら? 光・相対性理論・重力・宇宙――真面目な科学の本質を、バカバカしいたとえで話で解き明かし、爆笑と共に世界の謎と不思議に迫る!

扱われているトピックは、光、特殊相対性理論、万有引力、一般相対性理論、量子論、タイムマシン、発明、宇宙、進化論、それに「これからの科学」。これらを独特のノリで次々と解説していく。2箇所引用する(太字は原文のまま)。

ということは、厳密には地球の重力は地域ごとに違っているんです。地球上では、赤道に近づくほど物は軽くなります
そういえば、トンガやサモアなど赤道に近い南国には、妙にふくよかな体型の方が多いですよね。あれは、遠心力が強いせいで体重計の数字が少なく表示されるものだから、自分は全然太っていないんだと勘違いして油断して食べ過ぎてしまっているのではないでしょうか? これはいけません。取り返しのつかないことになる前に、彼らに地球の遠心力についてレクチャーをしてあげた方がいいのではないでしょうか。

地球のお隣さんである金星も火星も、ハビタブルゾーンからは外れています。地球というのは実に太陽から近過ぎず遠過ぎず、絶妙な距離で公転をしているのです。
いわば、地球というのはキャバクラ嬢のみなさまのようなものですね。金払いのいい太陽のようなお客さんと、お店では恋人同士と見まがわんばかりのデレデレトークをしておいて、しかし店の外で会おうとは絶対にしないという、近過ぎず遠過ぎず絶妙な距離感をキープする技術が地球と同じくやり手のキャバクラ嬢さんにもあるのです。どうですか? 腹立たしくなりませんか?

 全編がこんな調子である。このハイテンションを1冊読んだら疲れるかと思ったらそうでもなく、楽しく読むことができた。

ほとんどは知っていることだったが、 アルコー延命財団のことは知らなかった。契約した人が死んだあとでその死体を冷凍保存し、死んだ人間を蘇生する技術が開発された時に生き返らせる、というもの。

ここに書いてあることが本当だとしたらひどい話。残念ながら大打者テッド・ウィリアムズが生き返ることはないだろう。

この本の話に戻ると、こういう解説は、科学になじみのない人にとってわかりやすいものなのだろうか? たとえ話をふんだんに使っているのは確かにいいと思うが、相対性理論や量子論、宇宙論の入口を少しでも理解したり興味を持ったりする助けになるのだろうか。いろんな人に読んでもらって感想を聞きたい本である。

ブログを書くのは「自分の考えを整理し、書き残しておくため」

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

はてなブログの「今週のお題」に応募してみる。

どんなときにブログを書きたくなるか?

ネタを思いついたときである。「これについて書きたい」というのが頭の中に出てきたとき。それはつまり、自分の考えを書き記してみたくなったとき。

私の場合、ブログを書く一番の動機は「自分の考えを整理し、書き残しておくため」である。考えたことを一度文章にしてみる。書き残しておく。ブログは誰でも読めるものなので、公序良俗に反しない、理屈の通った、誰が読んでも意味がわかりそうな、ちゃんとした書き方をするようになる。それがよい抑制・刺激になる。

ブログを書くのは今の自分のためであり、未来の自分のためでもある。自分が書いた文章をあとで見て、思い出したり再考したりすることができる。昔の自分のエントリを読み直すのは楽しい。何を書いたかはかなり忘れていて、かつ昔の自分と今の自分の感覚はほとんど同じなので、常におもしろい。

アクセス数が多いか少ないかは気にならない。多いとうれしいことはうれしいし、特にコメントなどで反響があると素直にうれしいが、ほとんど誰も読んでいなくても別に構わない。だからといって自分しか読めないところに書いてもあまり意味はない。誰でも読めるところに書くことこそが大事なのである。

こういう動機でブログを書いている人は少ないのだろうか?

五声のリチェルカーレ(深水黎一郎)

五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)

五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)

 

今年に入ってから読みだした深水黎一郎の作風がすっかり気に入っている。論理的でわかりやすくてウンチクの多いのが好きなのである(他には森博嗣とか京極夏彦)。

これは2010年の作品。

昆虫好きの、おとなしい少年による殺人。その少年は、なぜか動機だけは黙して語らない。家裁調査官の森本が接見から得たのは「生きていたから殺した」という謎の言葉だった。無差別殺人の告白なのか、それとも―。少年の回想と森本の調査に秘められた〈真相〉は、最後まで誰にも見破れない。技巧を尽くした表題作に、短編「シンリガクの実験」を併録した、文庫オリジナル作品。

この作品の「謎」はどこにあるのか。素直に読んでいるとその「焦点」についてミスリードされる。他の作品でもそうだが、この人は読者との「対決」のしかたを工夫している。しかけがわかったと思っていたら、ちゃんとわかってはいなかったのだった。スッキリした読後感ではないが、作者の企みにうならされる。

そして、相変わらずウンチクが深くて気持ちがいい。今回は虫とバッハである。

併録の「シンリガクの実験」、こういう話は好きである。学校で暗躍する主人公の活動、そして真相と結末。こちらは結構スッキリした。