あけましておめでとうございます。
子供のころから、紅白歌合戦はナナメの視線で割としれっと観ているのだが、昨日の紅白は非常によかった。特に後半、Superfly以降の流れ。このクオリティと密度は紅白でなければ出せない。米津玄師は圧巻だったし。まあ、松田聖子はなんであんなにキーを下げるの? と思ったが(調べてみたら、3曲をオリジナルからそれぞれ2音・1.5音・2音下げていた。あんまりじゃないのか?)。
そして最後のシーンにすっかり心を奪われたのだった。「勝手にシンドバッド」で桑田佳祐と松任谷由実が肩を組んで「ララーラーラララララーラー」。
我々の世代にとっては特別な組み合わせである。この二人が日本の音楽界を引っ張っていたのだし、ポピュラーミュージックの象徴だったのだ。
(続)「胸騒ぎの腰つき」という40年間意味不明だったフレーズが、桑田佳祐とユーミンという、日本の音楽界を牽引してきた、還暦超え男女の揺れる腰だったと解き明かされた瞬間は、このフレーズが名実ともに日本音楽界のセンターとなった瞬間だった。平成だけではなく、昭和まで総括した紅白。
— スージー鈴木~新刊『イントロの法則80's』(文藝春秋)発売中! (@suziegroove) 2019年1月1日
本当にそう。
「平成最後の」というフレーズには飽きてきているが、二人のシーンで平成が、そして昭和までもが締められようとしているなと感じた。
いやあよかったなあ…とひとしきり感慨に浸ったあと、ふと寂しくなる。
紅白の大トリとは、まさに「体制側」なのである。我々の世代を象徴する二人が大トリに出て、それを感慨深く観ている自分…ああ、時は流れた。
桑田佳祐とユーミンが肩を組んで「勝手にシンドバッド」を歌っていた。中1だった40年前、クラスのYが買ってきた「勝手にシンドバッド」のシングルを音楽室のステレオで聴きながら、歌詞カードを見て意味不明の歌詞を解読した。それが紅白の大トリだ。自分たちは本当に年を取ってしまったのだと思う。
— nchiba (@katsuo_ohsugi) 2018年12月31日
誠に同感。
サザン登場の頃(「勝手にシンドバッド」から「いとしのエリー」までの流れ)のインパクトについては、今でもことあるごとに若い人に語ってしまう。昨日の桑田佳祐は、当時と同じでもあり、全く違ってもいた。
平成が終わる。新しい時代も、古い音楽を大事にしながら新しい音楽を楽しんでいきたい。