全脳自由帳

より考えるために書く

感じる科学(さくら剛)

感じる科学 (Sanctuary books)

感じる科学 (Sanctuary books)

 

  「科学に馴染みのない人に科学をおもしろく伝えるにはどうしたらいいか?」という話を友人としていて勧められた本。

赤いスイートピーは赤いが、なぜ私たちはスイートピーが赤いとわかるのか? 「超高速ですれ違う亀田兄弟」にとって、お互いのパンチはどのように見えるのか? もしも“もしもボックス”がこの世に存在するとしたら? 光・相対性理論・重力・宇宙――真面目な科学の本質を、バカバカしいたとえで話で解き明かし、爆笑と共に世界の謎と不思議に迫る!

扱われているトピックは、光、特殊相対性理論、万有引力、一般相対性理論、量子論、タイムマシン、発明、宇宙、進化論、それに「これからの科学」。これらを独特のノリで次々と解説していく。2箇所引用する(太字は原文のまま)。

ということは、厳密には地球の重力は地域ごとに違っているんです。地球上では、赤道に近づくほど物は軽くなります
そういえば、トンガやサモアなど赤道に近い南国には、妙にふくよかな体型の方が多いですよね。あれは、遠心力が強いせいで体重計の数字が少なく表示されるものだから、自分は全然太っていないんだと勘違いして油断して食べ過ぎてしまっているのではないでしょうか? これはいけません。取り返しのつかないことになる前に、彼らに地球の遠心力についてレクチャーをしてあげた方がいいのではないでしょうか。

地球のお隣さんである金星も火星も、ハビタブルゾーンからは外れています。地球というのは実に太陽から近過ぎず遠過ぎず、絶妙な距離で公転をしているのです。
いわば、地球というのはキャバクラ嬢のみなさまのようなものですね。金払いのいい太陽のようなお客さんと、お店では恋人同士と見まがわんばかりのデレデレトークをしておいて、しかし店の外で会おうとは絶対にしないという、近過ぎず遠過ぎず絶妙な距離感をキープする技術が地球と同じくやり手のキャバクラ嬢さんにもあるのです。どうですか? 腹立たしくなりませんか?

 全編がこんな調子である。このハイテンションを1冊読んだら疲れるかと思ったらそうでもなく、楽しく読むことができた。

ほとんどは知っていることだったが、 アルコー延命財団のことは知らなかった。契約した人が死んだあとでその死体を冷凍保存し、死んだ人間を蘇生する技術が開発された時に生き返らせる、というもの。

ここに書いてあることが本当だとしたらひどい話。残念ながら大打者テッド・ウィリアムズが生き返ることはないだろう。

この本の話に戻ると、こういう解説は、科学になじみのない人にとってわかりやすいものなのだろうか? たとえ話をふんだんに使っているのは確かにいいと思うが、相対性理論や量子論、宇宙論の入口を少しでも理解したり興味を持ったりする助けになるのだろうか。いろんな人に読んでもらって感想を聞きたい本である。

ブログを書くのは「自分の考えを整理し、書き残しておくため」

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

はてなブログの「今週のお題」に応募してみる。

どんなときにブログを書きたくなるか?

ネタを思いついたときである。「これについて書きたい」というのが頭の中に出てきたとき。それはつまり、自分の考えを書き記してみたくなったとき。

私の場合、ブログを書く一番の動機は「自分の考えを整理し、書き残しておくため」である。考えたことを一度文章にしてみる。書き残しておく。ブログは誰でも読めるものなので、公序良俗に反しない、理屈の通った、誰が読んでも意味がわかりそうな、ちゃんとした書き方をするようになる。それがよい抑制・刺激になる。

ブログを書くのは今の自分のためであり、未来の自分のためでもある。自分が書いた文章をあとで見て、思い出したり再考したりすることができる。昔の自分のエントリを読み直すのは楽しい。何を書いたかはかなり忘れていて、かつ昔の自分と今の自分の感覚はほとんど同じなので、常におもしろい。

アクセス数が多いか少ないかは気にならない。多いとうれしいことはうれしいし、特にコメントなどで反響があると素直にうれしいが、ほとんど誰も読んでいなくても別に構わない。だからといって自分しか読めないところに書いてもあまり意味はない。誰でも読めるところに書くことこそが大事なのである。

こういう動機でブログを書いている人は少ないのだろうか?

五声のリチェルカーレ(深水黎一郎)

五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)

五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)

 

今年に入ってから読みだした深水黎一郎の作風がすっかり気に入っている。論理的でわかりやすくてウンチクの多いのが好きなのである(他には森博嗣とか京極夏彦)。

これは2010年の作品。

昆虫好きの、おとなしい少年による殺人。その少年は、なぜか動機だけは黙して語らない。家裁調査官の森本が接見から得たのは「生きていたから殺した」という謎の言葉だった。無差別殺人の告白なのか、それとも―。少年の回想と森本の調査に秘められた〈真相〉は、最後まで誰にも見破れない。技巧を尽くした表題作に、短編「シンリガクの実験」を併録した、文庫オリジナル作品。

この作品の「謎」はどこにあるのか。素直に読んでいるとその「焦点」についてミスリードされる。他の作品でもそうだが、この人は読者との「対決」のしかたを工夫している。しかけがわかったと思っていたら、ちゃんとわかってはいなかったのだった。スッキリした読後感ではないが、作者の企みにうならされる。

そして、相変わらずウンチクが深くて気持ちがいい。今回は虫とバッハである。

併録の「シンリガクの実験」、こういう話は好きである。学校で暗躍する主人公の活動、そして真相と結末。こちらは結構スッキリした。

ソーダストリームで炭酸水生活

酒が飲めない体質なので、風呂上がりにはお茶や水を飲む。中でも炭酸水が好きである。何の味もついていない、ただの炭酸水。

昔ヨーロッパによく出張に行っていたころ、現地で飲んでいるうちに好きになった。特にドイツでは炭酸水が主流で、単に水と言うと炭酸水が出てくる。当時は日本ではほとんど売られていなかったが、近年かなり浸透してきて、たいていのコンビニや駅売店で購入できるようになった。

家では長らく生協の「ただの炭酸水」(その名の通り、味つきでない炭酸水。タダではない)を愛飲していたが、ペットボトルがたまっていくのが悩みの種だった。ちょっと油断していると自分の部屋の床が空きペットボトルだらけになって、酒びたりの人のような見かけを呈してくる。ペットボトルを捨てる(リサイクルに出す)には、キャップのところのリングを取ったりラベルをはがしたりしないといけないので非常に面倒である。

2年ほど前、その解決法を見つけた。炭酸注入サーバを買って自分で炭酸水を作ればいいのである。ソーダストリームという会社がこれを提供している。

www.sodastream.jp

専用ボトルに炭酸水を作り、時々ガスシリンダーを交換していけばよく、空きペットボトルが発生することはない。ガスシリンダーは新しいのが配達される時に古いのを引き取ってくれるので、一切ゴミを捨てる必要がない。おまけにコストもかなり安い。500mlあたりだいたい50円ぐらいか。サーバの値段(1万円代)はすぐに回収できる。

おかげで快適な炭酸水生活を送っている。水は水道水(浄水器を通したもの)を使う。今年一度サーバが故障して、保証期間(2年)ギリギリだったのでどうなるかなと心配したが、ちゃんと無償交換してくれた。

ソーダストリームの欠点は主に2つ。1つは、作った炭酸水の二酸化炭素がたんだん抜けてくること。ボトルのキャップをきつく締めても必ず抜ける。炭酸を入れ直すこともできるが、そこまでやる気はあまりしない。市販のドリンクの気密性は高いのだなとつくづく思う。

もう1つは、炭酸を注入する時の音。飽和した時点で「ブブッ、ブブッ」という音が鳴るのだが、これがうるさい、気持ち悪いと家族に不評なのである。自分が注入する時は、入れている実感があるからか気にならないが、家族が注入する時の音を横で聞いていると確かにうるさい。

ところで、外で炭酸水を買う際に不満なのは、レモンやピーチなどの味のついた炭酸水しか置いていない店や自動販売機が結構あること。味つきの方が人気があるのだと思う。せっかく炭酸水がポピュラーになってきたのだから、もう一押し、無味のものの人気がもっと出ないものか。

本を年間100冊読むコツ

何年か前から、本を年間100冊は読みたいなと思い、なんとなく目標にしている。そして昨年、初めて目標を達成した。

「本」と「電子書籍」の合計で116冊。

冊数を数える時のルールとしては、「漫画は除く」「全部読んだもののみを数える(途中でやめたもの、飛ばし読みしたものは含まない)」「上下巻などの分冊になっている作品は、分冊の数をカウントする(上下巻だと2冊)」としている。雑誌やリファレンス的書籍(辞典・事典など)は隅から隅まで読むことがないので、この全部読みルールではまずカウントされない。

今年は今日(11/1)の時点で84冊。このペースでいけば何とか年末までに100冊に届きそうである。

年間100冊(あるいはもっと)読むためのコツとは何か?

同じように年間100冊読もうとしている人はたくさんいるようで、検索してみるといろんな人がいろんなことを言っている。どれもふむふむとうなずけるが、自分に合ったやり方を持つのが一番。私のコツは以下のようなところ。

  • 読みたい本を読む
    これは基本。読みたくない本をガマンして読んでも精神衛生上よろしくないし、スピードも必ず遅くなる。まあそれでも読まないといけないことはあるのだが、その場合は他の本と並行して読むようにする。読書を苦行にしてはいけない。
  • 時間があったらいつでも読む
    これもとても大事。電車を待っている間にも、1駅移動する間にも本は読める。
    近年の最大の敵はスマートフォンである。大事なスキマ時間をスマホいじりで浪費しないように心がけることは必要。
  • つまらなかったら読むのをやめる
    「読みたい本を読む」と呼応して、これも大事。「もったいないから」といってガマンして読んでもいいことはない。
  • 買って読む
    これは人によって違うところで、図書館派の人もいる。私は本を割とぞんざいに扱いたい(線を引いたり付箋を貼ったりはしないが)方で、カバンに投げ込んだり、風呂で読んだりする。こういうことは借りた本ではできない。それに、本に関しては所有欲のようなものが結構あるのである。場所を取るので結局困ることになるし、金もそれなりにかかるが。
  • 同時に複数読む
    これができないと言う人が多い。私も昔はそう思っていたが、やってみるとそんなに難しいことではない。そもそも普段から、読書とその他の雑多なことを並行してやりながら暮らしているのである。読書と読書を並行してできないはずがない。
    カバンにはいつも2〜3冊は入れておく。いつどれを読みたい気分になるかわからないからである。その時々で読みたいものを手にとる。
  • 記録をつける
    蔵書はすべてブクログに登録し、読んだものは「読み終わった」状態にしている。「読書グラフ」の機能を使えば、今年何冊読んだかがわかる(この機能、ブラウザ版だけでなくアプリ版にもつけてほしい)。励みになるし、どのくらいがんばればいいかもわかる。
  • 紙の本と電子書籍を使い分ける
    電子書籍は安いし速く読めるし場所を取らないのだが、どうも読んだ気がしない。いわゆる新書系の「内容がわかればいい」本のみ電子書籍にして、小説、科学などの本は基本的に紙で読むことにしている。これも慣れてくれば変わっていくかもしれない。
  • 途中でやめている本の棚卸しをする
    年末が近づいたら、途中でやめている本(ブクログで「今読んでる」状態になっている)をチェックし、読んでもいいかなと思えるものを再開して冊数を稼ぐ。今年もそろそろ棚卸しをしないと。

他に役立ちそうなものとして、「速読」についても調べたことがあるのだが、どうもなじめそうにないので今のところ深く追求していない。もっと速く読めるようになればグッと楽になるのだが。

日本庭園の秘密(エラリー・クイーン)

日本庭園の秘密 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

日本庭園の秘密 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

流行作家カレン・リースのニューヨークの邸内に美しい日本庭園が造られた。だが、結婚を控え、幸せの絶頂にあった彼女が、その庭をのぞむ一室で怪死を遂げる。窓には鉄格子がはめられ、屋根裏部屋へ通じる扉は開かず、事件現場に出入りした者は誰もいないようにみえた。密室と思われる状況下の悪夢の死。名探偵エラリイ・クイーンの推理はすべての謎を解明できるのか? 日本のすべての読者に捧ぐ<国名シリーズ>最終作

「日本」とついていてもこれは国名シリーズの作品ではない、と聞いていた。原題は"The Door Between"で、国名は入っていない。邦題をつける時に「日本」を入れただけだと思っていた。

しかし上記紹介文(裏表紙)には「国名シリーズ」とあるし、解説には、「当初は”The Japanese Fan Mystery”というタイトルだった」と記されている。当時(1937年ごろ)の日本との関係に配慮して変更したとのことだが、これも定かではないらしい。また、刊行順では前作「スペイン岬の秘密」との間に「途中の家」がはさまっている。いろいろ総合すると、国名シリーズの作品ではないとしておいた方がよさそう。

で、内容はどうだったかというと…謎解きにはあまり満足できなかった。このパターン(何のことかは秘す)、あまり好きではない。最後はなかなか意外だったが。

国名シリーズではないらしいのに、日本文化に関することは割とよく出てくる。日本人のことはあまりよい感じには描かれていないし、ちょっと差別的な見方をされている気もするが、この時代ならそんなものだろう。

この作品は他のクイーン作品(早川文庫)よりも翻訳がいくぶん読みにくいように思った。おかげで少し骨が折れた。

創元推理文庫の邦題は「ニッポン樫鳥の謎」である。こちらの紹介文(多分本の裏表紙にも書いてあるのだと思う)には完全なネタバレがいくつか。何を考えて書いたのだろう。見たのが「日本庭園の秘密」を読んでからでよかった。

「○日中に」「○日までに」

メールで、出欠回答などの〆切を 「10月30日中にご回答ください」というふうに書く人がいる。今日が10月30日なら問題ないのだが、まだ30日になっていない場合、今日回答してもいいのか? それとも30日まで待ってから送るべきか?

まあ普通はすぐ送っていいのだろうが、言葉としてはおかしいので気になる。

このへんのことをググっていると、「『15日まで』というのは15日も含みますか?」と質問している人を見つけた。そんなことまで聞く人がいるのか。含むに決まっていると思うのだが。

もう1つ思い出した。私が回答をもらう側の時、「〆切: 10/30」と書くと10/30の定時(夕方)までに出さないといけないと思う人がいるかなと思い、夜でもいいよという意味で「〆切: 10/30 24:00」と書いた。すると「それは10/29の夜ですか、それとも10/30の夜ですか」と聞いてくる人がいる。こっちはそういう迷いの余地をなくすためにわざわざ「10/31 0:00」ではなく「10/30 24:00」(10/30の夜を過ぎた真夜中の意)と書いているのに。物事を正確に伝えるのは難しいものである。

この件、「〆切: 10/30 23:59」と書くようにしたら、見事に聞いてくる人がいなくなった。ちょっとしたコツ。

カフェやレストランのタイマー音にイライラ

「ピーピー」「ピピピピピ」という電子音が好きではない。

自宅の家電製品が鳴る分には、自分で使っているせいかそれほど不快ではないのだが、外で不意に電子音がピーピー鳴るとイライラすることがよくある。

特に気になるのが、カフェやレストランでの電子音。調理に使っているらしいタイマーの音がピーピー鳴る店が結構ある。これがどうにも受け入れがたい。しかも、誰も止めようとせずに延々鳴らしていることがよくある(あれはなぜなのか?)。

カフェやレストランというのは、そこでゆっくり飲食するための雰囲気が整っていることも料金のうちだと思う。「不快な音を客に聞かせないようにしようと思わないのかな?」と考えてしまう。

以前あるカフェで、あまりにも頻繁にピーピー鳴ってとても落ち着いてコーヒーを飲めないので、カウンターの向こうで調理をしている人に「タイマーの音、鳴らないようにしていただくことはできませんか」と聞いたら、「パンを焼くのに必要ですので」とピシャリ。腹に据えかねたのでウェブページから改善要望を書いたら、丁重なおわびの返信が来た。次にこの店に行った時にはタイマーの音は鳴らなくなっていた。

でも、未だにモヤモヤしている。たくさんの店でピーピー鳴っているということは、気にする人はごく少数だということなのか? ただ黙って、そういう店には行かないようにするのが妥当なのだろうか。

Tポイントカードは持ってません

コンビニでいつも「Tポイントカード(あるいはそれに類するポイントカード)はお持ちですか」と聞かれる。実は持っているのだが、「持ってません」と答えるようにしている。

ほんの少しのポイントをためるために、わざわざカードを出す気がしないのである。私にとっては、ポイントをもらうことよりもカードにわずらわされないことの方が優先である。

そう、ここ大事。判断基準はポイント(= お金)ではない。それも含めて「どっちの方が自分が幸せか」である。カードを出してポイントをためること自体が本当に好きな人はいいが、そうじゃない人は一度立ち止まって考えてみた方がいい。

私は、ポイントのためだけに物理的なカードを出さないといけないものについては「持ってません」と言うことにしようと思う(まあ、ものすごく還元率がよければ別だが…)。

さらに言えば、「Tポイントカードはお持ちですか」「持ってません」というやりとりからして面倒くさくてしょうがない。できれば聞かないでほしいのだが、何か方法はないものか。

AlphaGo Zeroの驚異的な強さ

Googleの囲碁プログラムAlphaGoの新版、AlphaGo Zeroのニュース。

www.itmedia.co.jp

すごいことが起こった。人間の棋譜や定石による「教師あり学習」なしに、囲碁のルールだけを教えた状態から、史上最強の碁打ちができあがってしまった。まったくランダムに打つ初心者以下の状態から始めて、自分同士の対戦を繰り返すことで強化学習を重ね、以下のように成長した。

  • 3日後: 昨年李世ドルを4勝1敗で負かしたAlphaGo Leeバージョンの力を超える
  • 21日後: 世界の強豪相手にネットで60連勝し、今年世界最強棋士の柯潔に3連勝したAlphaGo Masterバージョンのレベルに達する
  • 40日後: 他のすべてのバージョンのAlphaGoを超える実力を備える

今のAlphaGo Zeroは、AlphaGo Leeと100戦して100勝0敗、AlphaGo Masterと100戦して89勝11敗だという。もう人間はなすすべもなくAlphaGoの棋譜を見ているしかない。

DeepMindのブログにある元の発表記事。

deepmind.com

 論文と棋譜は以下のところにある。

何度か出てくる"tabula rasa"というのは「何もない白紙の状態」のこと。

DeepMind社による解説動画はこれ。 


AlphaGo Zero: Discovering new knowledge

人間がこれまでに創ってきた定石を独力で発見し、さらにその一部を捨てて新しい定石を創ったと言っている。

発表記事にもあるが、AlphaGo Zeroは従来のAlphaGoに対して、ハードウェアやディープラーニングのニューラルネットワークに大幅なアーキテクチャ変更を加えている。その多くはよりシンプルになる方向に見える。

スクラッチから最強になることができた要因は、アーキテクチャやアルゴリズムを改良したからだと思うが、このAlphaGo Zeroに従来のように人間の棋譜や定石を教え込んだ状態から強化学習させたら、強くなるのは今回より速かったのか遅かったのか? それが実験されることはないだろうし、どっちでやっても最終的には同じように強くなるのかもしれないが、もし強くなるのが遅くなるとしたら、人間による知識が邪魔になるということになる。そういうこともあるかもしれないな。

東洋経済にはこんな記事が載っている。

toyokeizai.net

これにはどうも違和感がある。

しかし、コンピュータ自身が囲碁を客観的に理解し、どのように打っていくべきかインスピレーションを得ながら打っているわけではない。

囲碁の打ち方、対局が進むにつれて変化する戦局を評価・数値化する方法などを考え、プログラムするのは、あくまでも人間だ。自己学習による強化は、人間が考えてプログラムした手順が、より最適に動作するよう……この場合は最善手は何であるかを試行錯誤の上に調整していく仕組みにすぎない。

とあるのだが、「戦局を評価・数値化する方法」を「人間が考えてプログラムしている」というのは違うのではなかろうか。もちろん学習するためのアーキテクチャと学習方法は人間が与えているわけで、それ自体をAlphaGoが作ったわけではないが、局面の評価関数を人間が与えているわけではない。「仕組みにすぎない」と言ってしまえば何でもそうである。

AIが何をしているのかをわかりやすく伝えるというのは、これからさらに重要になってくる。