全脳自由帳

より考えるために書く

人それを情死と呼ぶ(鮎川哲也)

1961年の作品。「マジックミラー」(有栖川有栖)の中の「アリバイ講義」で説明されるあるカテゴリに属する作例として、同作の「文庫版のためのあとがき」で挙げられている。

人は皆、警察までもが、河辺遼吉は浮気の果てに心中したと断定した。…しかし、ある点に注目した妻と妹だけは、偽装心中との疑念を抱いたのだった! 貝沼産業の販売部長だった遼吉は、A省の汚職事件に関与していたという。彼は口を封じられたのではないか? そして、彼が死んでほくそ笑んだ人物ならば二人いる。―調べるほどに強固さを増すアリバイ。驚嘆のドンデン返し。美しい余韻を残す長編。

アリバイトリックそのものは教科書に載りそうなもので、さすがにアリバイトリックの鮎川哲也という感じがする。一方で殺人事件の真相はとても複雑でドラマ満載。そちらの方にこそこの作品の価値がある。

黒いトランク」でもそうだったのだが、容疑者をしぼり込むのがえらく早く、唐突に感じる。それもこの人の味ということなのか。真相究明の過程にはフェイントが入っていたりして、読者としては右往左往させられておもしろかった。タイトルの意味するところも深い。

「あとがき」で著者はこう述べている。

本篇には、汚職問題が登場する。だがそれを以って、作者がいわゆる社会派の作風によろめいたと評するのは、余りに近視的な観方だと云わねばなるまい。おなじ汚職という問題をとり上げた場合、本格作家はそれをどう料理するか。興味の一つはそこにあるはずである。

本格推理小説作家としての矜持がうかがえて興味深い。