全脳自由帳

より考えるために書く

現金を使わないようにする

大昔、クレジットカードが大きく普及し始めたころ、「こんなものを日常的に使うと、金を使っている実感がないから絶対に無駄遣いしてしまう」と思ったものだった。以来、できるだけ現金で払うようにしてきた。

しかし時代は変わった。まず、ネットで物を買うようになったせいで、クレジットカード(実際には物理的なカードではないが)を使うことが大きく増えた。加えて私にとって大きかった最近の変化は、iPhone7にしてApple Payが使えるようになったこと。昔のガラケーでも電子マネーは使えたが、Apple Payはずっと使いやすい。

もう1つ、不勉強にして知らなかったのだが、多くのコンビニではクレジットカードでの支払いがサインレス(暗証番号もなし)でできる。うちの近所のスーパーでもそうである。これは早い。この事実、どこのコンビニやスーパーでも強調されていないのは、手数料をカード会社に払わないといけないからか?

通貨というのは、価値を数値で表そうとしたもの。支払いをする時、別に現金(紙幣・貨幣)で渡さなくても、その金額分だけこちらの財産が減り相手の財産が増えれば(それがセキュアに実現できれば)それでいい。そのことを日常的に実践すべき(してよい)時代が来ているような気が(遅ればせながら)している。

そこで最近、トライアルとして、できるだけ現金を使わずに電子マネーやクレジットカードで払うように変えてみた。コンビニではApple payを使ってQuickPayで払う。JRの駅などではiPhoneSuica。これらがダメでクレジットカードを使える店ではクレジットカード。

とにかく支払いが早い。電子マネーか暗証番号なしのクレジットカードなら一瞬で終わる。失礼ながら、現金で払っている人たちがもっさりしているように見えてくる。新幹線の時刻を気にしながら駅売店の列に並んでいる時、「みんなSuicaで払ってくれたら早いのに」と思う。

私は「クレジットカードでポイントがたまる」ということにはあまり興味がないのだが、そこに楽しみを見出す人にはさらにメリットが大きいはず。

結果としてクレジットカードの請求額は大幅に増えた。その代わりATMで現金を引き出す額は当然減っていて、トータルで無駄遣いするようになったという感覚は特にない。

トライアルとして始めた「現金払い回避」だが、どうやら現金中心の生活に戻ることはなさそうである。

本を読むための旅・さらにその後(2)

まわりの人に読書旅行の話をすると、反応はきれいに2つに分かれる。「いいね! 素敵な時間! 贅沢ですね!」と言ってくれる人と、「え? せっかく遠いところに行くのに、本読むだけで帰ってくるの? 意味わからん!」と言う人。体感覚では8~9割が後者である。まあそうなるよなと思う。

別に言い訳をする必要もないのだが、そういう人たちが想像するであろうよりも実際ははるかに「旅行」である。道中ただただ本を読んでいるわけではない。たまに景色を見たりもするし、鈍行は乗り換えの待ち合わせ時間が長くなるので、その間に駅のまわりを歩いたりカフェに入ったり(まあ本を読むのだが)もする。駅弁を食べる楽しみもある。以前のエントリにも書いたが、1日乗車券で地下鉄をグルグルまわった時はつまらなかった。

あと、「すぐ帰ってくるということは、キセルですか?」と時々聞かれる。出発駅近辺の駅までの切符しか買っていないのではと思うらしい。もちろん往復全区間の切符をちゃんと買っている。「ルール」にするまでもないことである。

たとえば和歌山の田並までは往復8000円だった。旅行に8000円というのは全然高くないと思うし、特急券を買っていないから普通の旅行よりかなり安く行けている。しかし、すぐ帰ってくるのでは意味がないと思う人にとっては8000円は高いということになる。

面と向かって読書旅行の話をすると、上記のように「意味わからん」という反応が多いが、Facebookに投稿すると「いいですね!」というコメントだけが来る。つくづく、Facebookは素直に感じたことをやりとりする場所ではないなと感じる。

本を読むための旅・さらにその後(1)

以前、読書旅行について何度か書いた。

読書旅行とは、本を読むことを目的として電車に乗る旅行。電車の中でひたすら本を読んで、目的地に着いたら帰ってくる。他に自分で決めているルールとしては「一人で行く」「有料特急を使わない(切符は乗車券だけ)」といったところ。

上記のエントリのあと、行った読書旅行は以下(他にもあったかも)。

  • 広島
    大阪から日帰りで行けるところの限界を追求してみた。往復12時間半。広島駅で1時間ぐらい時間があったので、急いでお好み焼き(もちろん広島の)を食べてきた。
  • 金沢
    大阪駅から片道5時間半。金沢での滞在時間は40分だった。食事はかに寿司や柿の葉寿司を車中で。
  • 和歌山
    とにかく帰ってこられるギリギリまで行くことにして、紀伊半島の南端付近にある田並という駅まで。大阪駅から往復11時間の旅。田並駅は無人駅で、何もないところだった。滞在時間7分で引き返す。
  • 島根
    岡山経由だと割と早いが、あえて鳥取の方からのルートにして、大阪駅から出雲市駅まで約12時間。帰れないので出雲に泊まって、出雲大社にお参りして帰る。帰りも鈍行にしようかと思ったが、さすがにしんどいのでルールを破って特急+新幹線でサクッと帰阪。

大阪から乗車券のみで日帰りで行けるところというのは、思ったほどバリエーションがあるわけではない。しかしもう少し、路線図と乗り換え案内を駆使して探求してみたい。

日本の音楽はそんなに「違う」のか

マーティ・フリードマンがアメリカと日本の音楽の違いについて説明している動画(英語)がある。


Differences between American & Japanese music (chords progression example)

「日本では、日本音楽の典型的なコード進行やメロディが、ビジュアル系やヘビーメタル、ポップ、ダンスミュージックを含めた多くのジャンルにわたっての基礎となっている」ということを強調している。

たとえば、西洋の音楽で典型的なC G Am F…というような4つのコードでの展開が、いきものがかりの「ありがとう」では複雑な進行(C Bm7-5 E7 Am7 Gm7 C7…)になっていると説く。

日本人として、オリジナリティがあると言われるのはうれしいのだが、私には日本の音楽は洋楽のマネから発展してきたという意識が強い(私ぐらいの世代にはそういう人が多いのではなかろうか)ので、「日本の音楽はそんなに違うのか?」と、話を素直に受け取れず戸惑ってしまうところがある。「ありがとう」のような感じのコード進行の曲、洋楽にはなかったっけ?

マーティ・フリードマンによる日本音楽の解説動画をもう1つ(これも英語)。「日本の伝統音楽を基調にした短調のサウンド」「ジャジーなコード進行(上記「ありがとう」のような)」を特徴として挙げている。


Guitar Lesson: Marty Friedman - Japanese style guitar improv

ところで最近、そのマーティも絶賛しているBABYMETALをよく聴いている。確かに、日本のオリジナリティあふれる音楽。中でもこの「ギミチョコ!」はミュージックビデオとして完璧だと思う。


BABYMETAL - ギミチョコ!!- Gimme chocolate!! (OFFICIAL)

別館もはてなブログに移行

「米中毒本館」の方をはてなダイアリーからはてなブログに移行したという話を本館ブログに書いた

こちらの別館ははてなダイアリーのままにしておこうと思っていたのだが、気が変わって移行することにした。はてなブログの方が見栄えがいいし、管理のインタフェースが統一された方がいいので。

本館ははてなメインアカウントrice-addict、別館はサブアカウントrice-addict-mで運用している。サブアカウントをどうやってはてなブログに移すのかよくわからなかったのだが、どうやら単に別々のはてなブログURLをとるということらしい。URLは、はてなブログに複数のドメインがあることを活かして

とした。これで、URLからは"-m"を取り除くことができた。

あとは本館で書いた、はてなダイアリーはてなブログ移行時のこの問題。

1. はてな記法にHTMLのタグを混ぜて書いているとうまく表示されない

2. 段落の間に空行を入れていないと、段落と段落を離して表示してくれない

(中略)

米中毒別館の方も移行してはてなブログで一括管理したいのだが、サブアカウントを移行する方法がわからない(ないのかもしれない)し、別館の方は800エントリ以上あって、上記を手で直す気にはとてもなれない。したがってそちらははてなダイアリーのままでいくことになりそうである。

本館をはてなブログに移行 - 米中毒本館

 結局、800エントリ以上を手で直すことにした。修正箇所のほとんどは2.で、段落間に空行を入れていくだけ。毎日少しずつやって今日全部終えた。ご苦労さま。

プロ野球 奇人変人列伝(野村克也)

プロ野球 奇人変人列伝 (詩想社新書)

プロ野球 奇人変人列伝 (詩想社新書)

著者がこれまで60年以上プロ野球界に身を置いてきた中で出会った奇人変人たち52人(著者本人を含む)を紹介している。といっても本当の奇人変人だけでなく、まじめ・人格者という意味での「変人」も出てくる。いずれにしても、本人やまわりの人にどう思われるかを気にせずにここまで書けるのは野村氏ならではかも。

一番印象的だったのは、鈴木啓示が「徹底した利己主義者」だったという話。チームのことを顧みず、自分のことしか考えない変人で、その価値観がその後の近鉄のカラーを作ってしまったという。手厳しい。他には、名将と言われる西本幸雄監督がなぜかピッチングに無関心だったという話と、江本孟紀のことを「なぜか憎めない」と評しているのは意外だった。

楽しく読めたのだが、全体的に人物考察が浅く、あっさりした本になってしまっているのが残念。野村氏が書くのだからもっと掘り下げてくれないものかと思ってしまう。また、これだけの数を紹介していても「あの人のことは書いてくれないの?」というのはどうしても出てくる。イチロー、清原、桑田、掛布、江川、ダルビッシュ、野茂。このあたりの人のことも読みたかった。

野村氏の著作は多いので、ライターに書いてもらっているのかなと思っていたが、この本は本人が書いているのではないかと思う。プロのライターにしては文章があまりうまくないからである。

不思議なCM(10)

どうでもいいことなのだが、斎藤工泉里香のインディードのCM、何回観ても気になる。


仕事編・バイト編の構成は同じで、「幸せなら手をたたこう」の替え歌で進む。仕事編だと以下のようになる。

  1. ♪仕事さがしはインディード
  2. ♪仕事さがしはインディード
  3. 「インディードって何?」「知るかーっ!」
  4. ♪仕事さがしはインディード
  5. ♪仕事さがしはインディード

問題は3.から4.の部分。こっちは3.に入っても歌は続いていると思っているし、3.は4.と同じぐらいの長さなので、3の次は5.のメロディが来ると思っていたら、4.なのである。

4.はいらないと思う。観るたびに違和感を覚えるのは私だけなのだろうか。

ルパン三世の映画第1作を観る

ルパン三世「ルパンVS複製人間」[Blu-ray]

ルパン三世「ルパンVS複製人間」[Blu-ray]

ルパン三世の映画といえば、我々の世代には2作目「カリオストロの城」(監督・脚本は宮崎駿)が最も有名である。つい先日、Gyaoで期間限定の無料配信をしていたので久しぶりに観ることができた。確かに名作。特に終盤は迫力満点である。

ただし、私は1作目「ルパンVS複製人間」の方が好きである。そこで1作目のDVDを借りてきて、これも久しぶりに観た。謎の人物・マモーとの対決。今観ると、「永遠の生」というテーマが昔より強く迫ってくる。対決のラストシーンは何度観てもインパクトがある。

カリオストロの城」のルパンはマジメすぎる。1作目は、明らかにTV第1シリーズ(かなり大人向けのトーン)をベースとしつつ、適当なのか真剣なのかよくわからないルパンがよく描かれていると思うのである。次に観たくなったらブルーレイを買うかもしれない。

ソロモンの偽証(宮部みゆき)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 下巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 下巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第II部 決意 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第II部 決意 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第II部 決意 下巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第II部 決意 下巻 (新潮文庫)

2002年から9年間にわたって連載され、最近は映画にもなった大作。

クリスマス未明、一人の中学生が転落死した。柏木卓也、14歳。彼はなぜ死んだのか。殺人か、自殺か。謎の死への疑念が広がる中、“同級生の犯行”を告発する手紙が関係者に届く。さらに、過剰報道によって学校、保護者の混乱は極まり、犯人捜しが公然と始まった――。ひとつの死をきっかけに膨れ上がる人々の悪意。それに抗し、真実を求める生徒たちを描いた、現代ミステリーの最高峰。

ある人から強く勧められたので、ほとんど予備知識なしの状態で、まずは第I部の2冊(文庫版)だけ買って読み始めた。そこまででいったん何かのケリがつくのかと思っていたらさにあらず、まだ導入が終わっただけという感じ。これはやめるわけにはいかない。結局残り4冊も買い、全部で3000ページ超を短期間で読み終わってしまった。とにかくどんどん読み進めてしまう。細かい描写も読みやすくて飽きさせない。さすが宮部みゆきである。

ミステリーとしての謎解きや意外な結末といった要素はあまりないのだが、中学生の心情と成長がよく描かれている。それぞれの登場人物なりの思いの発露と、「真実を知る」ということに対する渇望が心に響く。視点人物を入れ替えながら語られていく構成が功を奏している。特に、主人公に近い藤野涼子については、視点人物になったりならなかったりすることによってつかず離れずの描写になっているのがよい。

最終巻に収録されている書き下ろし「負の方程式」は、大作を最後まで読んだごほうびというところか。

殺人の門(東野圭吾)

殺人の門 (角川文庫)

殺人の門 (角川文庫)

久しぶりに小説の感想を書く。2003年の作品。

「倉持修を殺そう」と思ったのはいつからだろう。悪魔の如きあの男のせいで、私の人生はいつも狂わされてきた。そして数多くの人間が不幸になった。あいつだけは生かしておいてはならない。でも、私には殺すことができないのだ。殺人者になるために、私に欠けているものはいったい何なのだろうか? 人が人を殺すという行為はいかなることなのか。直木賞作家が描く、「憎悪」と「殺意」の一大叙事詩

つらかった。とにかく暗い。ものすごく悲惨なわけではないが、不幸なことばかりが続く主人公。その話がこれでもかとばかりに細かく描かれる。これで600ページ超はつらかった。ラストの展開も「今ごろそれを…」という感じだったし。

読み終わってみると、この話には「愚かな人」しか出てこなかった。男女問わず、誰をとっても愚かなふるまいばかり。ちょっと前に読んだ東野作品「ゲームの名は誘拐」は「善人の出てこない小説を書きたかった」と作者が言っている通りだったが、「殺人の門」は「賢い人の出てこない小説」だった。

作中の年代がいつなのかははっきりとわからなかったが、どうやら1985年に相次いで起こった「豊田商事事件」「投資ジャーナル事件」が反映されているらしい。