全脳自由帳

より考えるために書く

月の扉(石持浅海)

月の扉 (光文社文庫)

月の扉 (光文社文庫)

2003年、石持浅海の第2作。

沖縄・那覇空港で、乗客240名を乗せた旅客機がハイジャックされた。犯行グループ3人の要求は、那覇警察署に留置されている彼らの「師匠」を空港まで「連れてくること」。ところが、機内のトイレで乗客の一人が死体となって発見され、事態は一変―。極限の閉鎖状況で、スリリングな犯人探しが始まる。
各種ランキングで上位を占めた超話題作が、ついに文庫化!

うーむ、石持作品を読む時の「悪い方のパターン」にはまってしまったかもしれない。

石持作品では大抵、ある特殊な状況Sが提示され、Sを土台として事件が起こる。ここまではこちらもついていけていて、物語設定としてのSが成り立っていることに納得して読み進める。しかし「悪い方のパターン」の作品では、そこから事件の真相が究明され、真相に至るロジックや究明の後に起こったことをSとセットで見てみると、実はSは非常にグラグラした土台だったことに気づかされ、全体が嘘っぽく見えてしまうのである。

「よい方のパターン」はどうかというと、「扉は閉ざされたまま」では倒叙形式ということもあり、土台がグラつく要因(この場合は犯行動機)が提示される前に真相が究明されるので、ロジックの秀逸さのみが際立って見えた。「水の迷宮」や「アイルランドの薔薇」では状況Sそのものがそれほど特殊とは感じられなかった。それでもいつも「最後の章はいらないな」と思わされたのは、物語としての結末をきちんとつけようとすればするほどSのもろさが目立つからである。

私にとって「悪い方」に属する「セリヌンティウスの舟」やこの「月の扉」では、真相の究明が始まる前にもうSがグラついて見え始める。この作品でいうと、ハイジャックが途中で緊迫感のない展開になることと、ハイジャックの動機があまりにもあんまりなことが原因。その後のロジックやしかけはすばらしかったが、作品全体としてはがっかりさせられるのである。推理小説はパズルではないのだから...。

Web上のいろんな書評を読むと、石持作品のどれが好きでどれがきらいかが人によってかなり異なるのでおもしろい。特殊な状況設定に最後までついていけるかどうかの感覚が人によって違うのが1つの要因ではないかと思う。

この作品でも最後の章はいらないと思ってしまった。物語として納得していればうまい締めくくりになるのだが、そうでなかったので最後の章が「言い訳」に見えてしまうのである。