全脳自由帳

より考えるために書く

責任をとるということ(補足)

id:himazublogさんからコメントをいただいたのでそれを引用しつつ、考えたことを書いてみる。

何かに対して「責任を持つ」ことと、起こったことに対して「責任を取る」ことは分けて考えてはどうでしょうか。責任を持つ事柄がうまくいなかなければ責任を取ることにはなりますが、責任を持っていないことについても責任を取ることがあるからです。花瓶を壊した責任を取ることがこれに当たります。花瓶の持ち主でない人は花瓶に対して責任を持っているとは言えませんから。
「責任を持つ」を以下のように定義してはどうかと思います。「あることがらに責任を持つとは、そのことがらが最もよい状態とする義務を負うことである。そして、その事柄から悪いことが生じた場合は、それを除くあるいは最小限にする義務を負うことである。」

確かに「責任を持つ」と「責任をとる」は別である。前回のエントリで引用した「議論のしかた: 4.3. 責任とは何か」には両方出てくるが、「○○に対して責任を持つ」の方を「○○の評価を上げるような行動をしなければならないこと」と定義している。そのあとに書かれていることと合わせると、「○○の評価を上げるような行動を常に行っていなければならないこと」という意味だと思う。これはid:himazublogさんの定義とほぼ同じ意味になりそうだが、○○の状態がよいかどうかを判断するのは自分ではなく相手であることに注意しておく必要がある(だから「評価」という言葉を使う)。それを元に私の方は「△△の責任をとる」の方を「△△の評価を上げるように最大限の努力をする」と定義してみた。以上の中で、○○は「会社」のような「もの」、△△は「花瓶を割った」のような「起こったこと」である。

これらを合わせると、

  • 「○○に責任を持つ」=「○○に何が起こってもその責任をとらなければならない」

という関係があると思う。上記コメントにある通り、責任を持っていないものに対して起こったことについて責任をとらなければならないこともある。

交通事故の責任については、運転手が運転に責任を持つことから出発します。運転手は運転が最も良い状態となる義務を負い(主に安全運転)、交通事故を起こした(責任を持つことがらから悪いことが起こった)場合は、その悪いことを最小限にする義務を負う、と考えるのです。
花瓶を壊した責任については、人は自らの行動に責任を持つことから出発します。

「人は自らの行動に責任を持つことから出発する」というのはわかりやすい。してみると、以下のように言えるかもしれない。

  1. 人は(責任を要求される年齢になると)まず自らの行動に責任を持つ
    = 自らの行動によって起こった全てのことについて責任をとらなければならない
    = 自らの行動によって起こった全てのことに対し、評価を上げるように最大限の努力をしなければならない
  2. 加えて地位や役割に応じて、「自らの行動」以外のものにも責任を持つようになる
    = そのものに起こった全てのことに対し、評価を上げるように最大限の努力をしなければならない

2.は例えば社長にとっての会社である。社長は会社に何かが起こったら、それが自らの行動によるものでないこと(ヒラ社員がヘマをやって損失を出したとか、地震で社屋が倒壊したとか)であっても会社の評価を上げるように努力しないといけないわけである。同様に、親は子供の行動に(少なくとも子供が一人前になるまでは)責任を持たなければならないだろう。

前回のエントリについてもう1つ補足。「議員を辞職するという不利益をこうむるだけでは単なる処罰である」という意味のことを書いた。処罰を受けることは責任をとることにすぐにはつながらない。例えば犯罪者が処罰されるのは「犯罪を犯したことに対して評価を上げるための本人の努力」ではなく、他者が決めて執行することである。

一方、処罰を受けることを自分の意志で選択することは、それが相手の評価を上げることにつながるなら「責任をとる」ことの一手段にはなりうる。ただし議員の辞職の場合は、「辞めるという不利益をこうむってくれたのだからよしとしよう」としてはいけない(辞職したということだけで評価を上げてはいけない)と思うのである。