全脳自由帳

より考えるために書く

断定したくない症候群(2) かな形

最近増えてきた、断定を避けようとする言い方の2つ目は、何にでも「かな」をつけようとするスタイル。

テレビの対談番組を観ていたら、「毎日やっていることはありますか」と聞かれた人が

あまりないけど、朝、祈ってるかな。家に仏壇みたいなのがあるんだけど、それに向かって祈ってるかなー

と(細部はうろ覚えだが)言っていた。

この「祈ってるかな」はもちろん、自分が朝祈っているかどうか自信がないのではないだろう。「祈ってる」と言うとちょっと偉そうになると思っているのか、とにかく断定したくないのだと思う。

以前受けた研修で、講師の先生が「〜ということを、覚えておいてほしいかなと思います」というような「かな」を連発していたことがあった。これも無意識に言っているのだろう。「覚えておいてください」でいいと思うのだが。

何かの感想を聞かれた時に「〜と思ったかな」と言う人もいる。「思った」のは自分の心の中のことなので、それくらいは断定してほしい。

自分に関する事実や自分の思っていることにまで「かな」をつけるのは、物事をはっきり言うことを回避しようとしすぎではなかろうか。使っている人たちはもう習慣になってしまっているから、「断定したくなくてそういう言い方をしている」という意識もないのかもしれないが。