米中毒別館

思いついたことをこまごまと。本の感想なども。

「100年インタビュー 井上ひさし」より

4/29に放送された「井上ひさしさんをしのんで 『100年インタビュー』アンコール」をやっと観た。2007年9月の「100年インタビュー」の再放送。その中から印象に残った井上ひさし氏の言葉をメモ。

  • 本の読み方(蔵書は20万冊以上)
    1日に30冊ぐらい読む。ものを調べるときには読み方がある。日本の学者は結論を最後に書く。目次を見ると、著者の一番言いたいことが何か大体わかる。そこを読んでおもしろかったらさらに読んでいく。心に残ったものは表紙の裏に書き込んでいって、索引のようなもの(ダイジェスト)を作る。そうやって読む本と、見当をつけてそこだけ読む本がある。何度も読む本もある。
    こういうやり方だと30〜40冊は簡単にいく。読み方は職業的な訓練によるもの。
    読んだことはいったん体に入れないとダメ。「情報」が集まって「知識」になり、それが「知恵」を作っていく。
  • 遅筆の原因
    我々の仕事は結果オーライ。お客さんは過程を知らない。出たもの勝負。それまでにどんな苦労をしてもお客さんにとっては知ったこっちゃない。出したもので勝負するためには、遅れようが何しようがいいものを書くしかない。いいものを書くためには、我々がよく言う「悪魔が来る」必要がある。あれもダメ、これもダメと苦しんで出てくるもの。
    芝居の場合には、最後のセリフが見えないと最初のセリフが書けない。最初のセリフから全部組み合わさって(最後に)このセリフにたどり着くというのが読めないと書けない。
  • 「笑い」にこだわるのはなぜか
    苦しむとか悲しむとか恐怖とか不安とかいうものは人間が生まれた時にそもそも持っているもの。人間は生まれたら死に向かって進んでいく。死ぬことは決まっている。生きていくことそのものの中に苦しみは詰まっている。しかし笑いはない。笑いは人間が作るしかない。しかも一人で笑っていてもしょうがない。分け合わないとダメ。笑いは人間の中にないので外で作って、しかも共有しないとダメなものである。
    人間が人間の手でできる最大の仕事は、人間の悲しい運命を瞬間でも忘れさせるような笑いをみんなで作り合うこと。

「悪魔が来る」は「神が降りる」と似たような意味かな。神でもあり悪魔でもあるということか。

「笑い」に関しては、中島らもも「なぜ喜劇ばかり書くのか」について「人生にはつらいことばかり。だから芝居では、笑えること、楽しいことを描きたい」というようなことを書いていたような気がする。