全脳自由帳

より考えるために書く

カフェやレストランのタイマー音にイライラ

「ピーピー」「ピピピピピ」という電子音が好きではない。

自宅の家電製品が鳴る分には、自分で使っているせいかそれほど不快ではないのだが、外で不意に電子音がピーピー鳴るとイライラすることがよくある。

特に気になるのが、カフェやレストランでの電子音。調理に使っているらしいタイマーの音がピーピー鳴る店が結構ある。これがどうにも受け入れがたい。しかも、誰も止めようとせずに延々鳴らしていることがよくある(あれはなぜなのか?)。

カフェやレストランというのは、そこでゆっくり飲食するための雰囲気が整っていることも料金のうちだと思う。「不快な音を客に聞かせないようにしようと思わないのかな?」と考えてしまう。

以前あるカフェで、あまりにも頻繁にピーピー鳴ってとても落ち着いてコーヒーを飲めないので、カウンターの向こうで調理をしている人に「タイマーの音、鳴らないようにしていただくことはできませんか」と聞いたら、「パンを焼くのに必要ですので」とピシャリ。腹に据えかねたのでウェブページから改善要望を書いたら、丁重なおわびの返信が来た。次にこの店に行った時にはタイマーの音は鳴らなくなっていた。

でも、未だにモヤモヤしている。たくさんの店でピーピー鳴っているということは、気にする人はごく少数だということなのか? ただ黙って、そういう店には行かないようにするのが妥当なのだろうか。

Tポイントカードは持ってません

コンビニでいつも「Tポイントカード(あるいはそれに類するポイントカード)はお持ちですか」と聞かれる。実は持っているのだが、「持ってません」と答えるようにしている。

ほんの少しのポイントをためるために、わざわざカードを出す気がしないのである。私にとっては、ポイントをもらうことよりもカードにわずらわされないことの方が優先である。

そう、ここ大事。判断基準はポイント(= お金)ではない。それも含めて「どっちの方が自分が幸せか」である。カードを出してポイントをためること自体が本当に好きな人はいいが、そうじゃない人は一度立ち止まって考えてみた方がいい。

私は、ポイントのためだけに物理的なカードを出さないといけないものについては「持ってません」と言うことにしようと思う(まあ、ものすごく還元率がよければ別だが…)。

さらに言えば、「Tポイントカードはお持ちですか」「持ってません」というやりとりからして面倒くさくてしょうがない。できれば聞かないでほしいのだが、何か方法はないものか。

AlphaGo Zeroの驚異的な強さ

Googleの囲碁プログラムAlphaGoの新版、AlphaGo Zeroのニュース。

www.itmedia.co.jp

すごいことが起こった。人間の棋譜や定石による「教師あり学習」なしに、囲碁のルールだけを教えた状態から、史上最強の碁打ちができあがってしまった。まったくランダムに打つ初心者以下の状態から始めて、自分同士の対戦を繰り返すことで強化学習を重ね、以下のように成長した。

  • 3日後: 昨年李世ドルを4勝1敗で負かしたAlphaGo Leeバージョンの力を超える
  • 21日後: 世界の強豪相手にネットで60連勝し、今年世界最強棋士の柯潔に3連勝したAlphaGo Masterバージョンのレベルに達する
  • 40日後: 他のすべてのバージョンのAlphaGoを超える実力を備える

今のAlphaGo Zeroは、AlphaGo Leeと100戦して100勝0敗、AlphaGo Masterと100戦して89勝11敗だという。もう人間はなすすべもなくAlphaGoの棋譜を見ているしかない。

DeepMindのブログにある元の発表記事。

deepmind.com

 論文と棋譜は以下のところにある。

何度か出てくる"tabula rasa"というのは「何もない白紙の状態」のこと。

DeepMind社による解説動画はこれ。 


AlphaGo Zero: Discovering new knowledge

人間がこれまでに創ってきた定石を独力で発見し、さらにその一部を捨てて新しい定石を創ったと言っている。

発表記事にもあるが、AlphaGo Zeroは従来のAlphaGoに対して、ハードウェアやディープラーニングのニューラルネットワークに大幅なアーキテクチャ変更を加えている。その多くはよりシンプルになる方向に見える。

スクラッチから最強になることができた要因は、アーキテクチャやアルゴリズムを改良したからだと思うが、このAlphaGo Zeroに従来のように人間の棋譜や定石を教え込んだ状態から強化学習させたら、強くなるのは今回より速かったのか遅かったのか? それが実験されることはないだろうし、どっちでやっても最終的には同じように強くなるのかもしれないが、もし強くなるのが遅くなるとしたら、人間による知識が邪魔になるということになる。そういうこともあるかもしれないな。

東洋経済にはこんな記事が載っている。

toyokeizai.net

これにはどうも違和感がある。

しかし、コンピュータ自身が囲碁を客観的に理解し、どのように打っていくべきかインスピレーションを得ながら打っているわけではない。

囲碁の打ち方、対局が進むにつれて変化する戦局を評価・数値化する方法などを考え、プログラムするのは、あくまでも人間だ。自己学習による強化は、人間が考えてプログラムした手順が、より最適に動作するよう……この場合は最善手は何であるかを試行錯誤の上に調整していく仕組みにすぎない。

とあるのだが、「戦局を評価・数値化する方法」を「人間が考えてプログラムしている」というのは違うのではなかろうか。もちろん学習するためのアーキテクチャと学習方法は人間が与えているわけで、それ自体をAlphaGoが作ったわけではないが、局面の評価関数を人間が与えているわけではない。「仕組みにすぎない」と言ってしまえば何でもそうである。

AIが何をしているのかをわかりやすく伝えるというのは、これからさらに重要になってくる。

Apple Musicにどっぷりはまる

www.apple.com

Apple Musicをファミリーメンバーシップで使っている。加入したのは昨年(2016年)の10月だったから、ちょうど1年になる。

きっかけは、昨年9月にSpotifyのサービスが日本で始まったことだった。Spotifyを無料プランで使ってみて、これは有料会員になる価値があると思った。そこでSpotifyとApple Musicを比較調査した結果、結局Apple Musicの有料会員になることにした次第。

選択の決め手は曲のラインアップではなく、Apple MusicならiPhoneのミュージックアプリですでに持っている曲と統合して聴けることと、ファミリーメンバーシップ(月額1480円)があること。曲のラインアップについては、洋楽に強く邦楽に弱い点は同じで、それほど差はないと判断した。プレイリストはSpotifyの方が充実しているようだが、私はあまり使わないので重視せず。

Apple Musicに加入して、聴ける音楽の幅がグンと広がった。特に洋楽の好きな人にとっては天国だと思う。最新アルバムがすぐに入るとは限らないが、少し前のものならたいがいのアーティストの曲は聴ける。ブルーグラスのアルバムも、古いものも含めてたいてい聴けるのは本当にうれしい。

それに加えて予想外に楽しいのは、日本の昔の曲を聴けること。たとえば岩崎宏美を聴いてみようとか、松田聖子のアルバムはどんなだったかとか、チェッカーズを久しぶりにとか。わざわざ買ったりしないこのあたりのアーティストを、たまに思い出した時に聴けるというのはいい。

ファミリーメンバーシップは月額1480円。家族4人で使うので、個人の980円(年間会員だと年額9800円)に比べてかなり割安。家族はそれぞれ自分の好みに合わせて楽しんでいる。金額分のメリットは十分享受している。

ただ、曲の管理はややこしくなった。手持ちのすべての曲がiCloudミュージックライブラリというものに入り、クラウドに情報を保持される。それはいいのだが、ジャケット画像が勝手に変わったり同じ曲が重複して入ったり、よくわからないことが起こる。またアーティスト名で「Pentatonix」と「ペンタトニックス」が混在したりするような日本語がらみの面倒も多い。また、リッピングした曲を家族のiPhoneに入れる簡単な方法が見つからない。まだまだ細かいところでは洗練されていないサービスという感じがする。

identity(山本彩)

identity(通常盤)

identity(通常盤)

 

Rainbow」に続く、さや姉の2枚目。

全編気持ちよく聴ける。1作目に比べて歌がうまくなった。私は低い声の出る女性ボーカルが好きなので、さや姉のボーカルは心地よい。自分で作詞・作曲している歌もなかなかいいのである。ほかの人に作ってもらった曲の方がクオリティが高いとは思うが。

さや姉はNMB48やAKB48としてでなく一人で音楽番組に出てギターを弾いて歌う機会も多い。どう見ても、アイドルになりたいのではなくミュージシャンとしてやっていきたい人である。本人も「シンガーソングライターが夢」と言っている。アコースティック・ギター・マガジンのインタビューでもそう語っていた。

ミュージシャンとしてがんばっていこうとしている人は応援したい。さや姉の他には、BABYMETALのSU-METAL(中元すず香)もそういう人だと思う。

座右の銘は何ですかと聞かれたら

たまーに「座右の銘は?」と聞かれる。

「清濁併せ呑む」という言葉が好きで、以前はこれを答えていた。辞書を引くと「善悪の区別なく受け入れる、心が広いさま」を指すようだが、見たくない現実をも直視して前に進む、という意味もあると思っている。

最近は、以下の「ニーバーの祈り」の方がしっくりきている。今座右の銘を聞かれたらこれを答える。

O God,
Give us serenity to accept what cannot be changed,
Courage to change what should be changed,
And wisdom to distinguish the one from the other.

日本語訳はいろいろ出ているが、私はこう訳してみたい。

神よ、
変えられないものを受け入れる冷静さと、
変えられるものを変えていく勇気と、
それらを見分ける知恵とをお与えください

我々はとかく、どうやっても変えられないものを一生懸命変えようとしたり、変えられないことをいつまでも嘆いたり、あるいは変えられるかもしれないのに何もせずにやはり嘆いたり。

受け入れる冷静さと変える勇気を持って前に進んでいきたい。それらを使い分けられる知性を持ちたい、といつも思う。そう考えると、「清濁併せ呑む」と近いものがある。自分に響く言葉はどこかでつながっている。

片眼の猿(道尾秀介)

片眼の猿―One-eyed monkeys (新潮文庫)

片眼の猿―One-eyed monkeys (新潮文庫)

 

久しぶりに道尾作品を読んだ。未読の中で一番古いのを、ということで、2006年の作品。

盗聴専門の探偵、それが俺の職業だ。目下の仕事は産業スパイを洗い出すこと。楽器メーカーからの依頼でライバル社の調査を続けるうちに、冬絵の存在を知った。同業者だった彼女をスカウトし、チームプレイで核心に迫ろうとしていた矢先に殺人事件が起きる。俺たちは否応なしに、その渦中に巻き込まれていった。謎、そして……。ソウルと技巧が絶妙なハーモニーを奏でる長編ミステリ。

なんかよくわからない話だった。半分ハードボイルドのような文体。盗聴しているとあまりにも都合のよいタイミングですごいことが聞こえてくる(そして都合よく一部が聞こえない)、どうも現実味のない展開。

そして、数多くちりばめられているミスディレクションがどうも気持ちよくない。「Aだと思っていたらBだった」のBがショボい。「だから何? どっちでもよかったじゃないか」となって、カタルシスが得られないのである。同じ作者の「向日葵の咲かない夏」とはえらい違い。

ついでに書いてしまうと、最後のくだりはどういう意味だったのだろう? 私が意図を読み取れていないのか、深い意味はないのか…。釈然としないエピソードだった。

あえて優先座席に座る

出張で時々行く東京で電車に乗った時に違和感を覚えることの1つとして、「優先座席に座る人が少ない」というのがある。かなり混雑していても誰も優先座席に座っていなくて、「近くの人が座ってくれたら、立つスペースが少し空くのに」と思うことがある。大阪ではあまり見かけない光景である。

席を譲るという行為がいやだからかと思っていたのだが、それだけではなく、もっと強い理由もあるらしい。

gakumado.mynavi.jp

優先座席には座らないという人の多さに驚く。「周囲から冷たい視線を浴びる」って本当なのか? 考えたこともなかった。

優先座席はあくまで「優先」であり、「専用」ではない。空いていれば座って、お年寄り、体の不自由な人、妊娠している人、…が来たら譲ればいいこと。というか、本来は全ての座席が優先座席なのである。あえて特定の座席だけをそう決めているのは、(残念ながら)そうした方が効果が出る(譲る人が多くなる)からだと思う。

昔大きな注目を集めたこの記事でも、「シルバーシートに行けよ」というセリフがあったな。

rakudaj.seesaa.net

そんなことを普段考えていたら、この記事を見つけた。

rocketnews24.com

目からウロコ。譲らない人に座らせないために優先座席に座るというのはいい。

以来、つとめて優先座席に座ることにしている。「冷たい視線」を浴びているのかもしれないが、そんなこと知るか。

そうするからにはもちろん、座る必要のありそうな人が来たら譲っている。でも隣に元気そうな若者が平然と座っていたりすると、「君が譲ったら? 僕もそんなに若くはないよ…」と言いたくなることはある。

コンタクトレンズを使う

何十年もメガネにはずっと縁がなかったのだが、年をとってからなぜか近眼が進んできて、生まれて初めてメガネ(近眼用)を作ったのが数年前。そして最近は老眼も進んできた。

ところがメガネがどうも苦手で、かけているとだんだん頭が痛くなってくる。車を運転する、映画を観る、プレゼンを聴くなどの要所要所でだけかけるようにしていたのだが、だんだん近眼が進んできて不安になってきたので、コンタクトレンズの着用を検討することにした。

昔、ある程度以上の年齢になるとコンタクトレンズは無理だと聞いたことがあった。しかし調べてみると別にそうでもないらしい。おまけに遠近両用コンタクトというのもある。

意を決して医者に行き、合うレンズを選んでもらった。遠近両用といっても限界はあり、遠くがはっきり見えるようにするほど近くが見えなくなる。近くがちゃんと見える範囲で遠くができるだけ強化されるように調整してもらって購入した。 

ワンデイ(一日使い捨て)なので、少し値は張るが管理はとても楽である。レンズはAmazonなどでも買える。

つけ心地が心配だったのだが、つけていることを忘れてしまうくらい、ほとんど違和感がない。私の世代の人たちがコンタクトをつけ始めた数十年前とはえらい違い。技術の進歩はすごい。ただ、一日つけていると目がかゆくなりやすいとは感じる。「今日はもういらない」と思ったらはずした方がよさそう。

私の場合の裸眼、メガネ、コンタクトレンズでの視力を表にするとこんな感じになる。

 
裸眼 × ×
メガネ ×
コンタクト

 コンタクトにすると、遠くが裸眼よりよく見えるようになる代わりに、近く(本やスマートフォンを見る距離)は若干見えにくくなる。何といってもコンタクトレンズはメガネと違ってつけたりはずしたりできないので、いったんつけると△状態を受け入れて過ごすしかない。自宅にずっといる日などはつける意味があまりない。

この表からは、普段メガネをかけて、近くを見る時だけはずす、という対応で○以上をキープするのが一番いいことになるが、やっぱりメガネは苦手。日によってコンタクトレンズと裸眼を使い分け、要所要所でメガネをかけるというスタイルでいくことになりそうである。

大人が数学を学ぶ理由

大人のための数学教室 和(なごみ)に通っているという話を書いた。この教室に大人が数学を学びに来る動機というのはどういうものなのだろう。

和(なごみ)大阪教室の松森室長に聞いてみると、代表的なのは以下の3つとのことだった。

  • 資格取得や仕事のために数学が必要になった
  • お母さんが子供に算数・数学を教えるため
  • 純粋に数学が好きだから(私はこれ)

お母さんが習いに来るというのはえらいなあと思う(お父さんが来ることはまずないらしい)。お母さんかどうかはわからないが、和(なごみ)のウェブページにある「授業例」の動画では、女性に1/2 + 1/3の計算を教えている。


大人のための数学教室和 酒井先生の授業例 「分数の足し算基礎」

数学セミナー 2017年4月号で、松森さんが「数学が必要になるとき、なったとき」という記事を書かれていて、そこにはもっと詳しい事例が載っている。

この記事で印象的だったのは、以下の部分(引用)。

苦手意識克服のために大人になってから再び数学を勉強してみると,予想外に楽しいという感想を持たれる方がよくいます.おそらく理由としては,試験で良い点を取らないといけないというプレッシャーがないことや,納得がいくまで時間をかけて考えられること,また人生経験を積まれて数学が面白いと思える価値観がご自身の中に醸成されたことなどがあるのだと思います.

そう、そうなのである。プレッシャーなく数学に関われば、おもしろいと思う人は多いはずだし、「価値観が醸成される」ということも絶対にある。

学校で教わっている時にもおもしろさの片鱗に気づく生徒がもっと出てくるような教育であるといいなと思う。